突然ですがちょっと古い映画をみてみましょう。中途半端じゃなく思いっきり古いのを掘り出してみます。「東京キッド」。1950年ということは昭和25年の作品ですね。当時13歳の美空ひばりが主演です。13歳といっても今の目で見ると8、9歳くらいの感じですが、いやはや堂々たる主演っぷりの佳作です。
この「東京キッド」、作品中に短時間ながら当時の銀座の街並みが出てきます。主人公の美空ひばりが共演の川田晴久に、ちょっと(賑やかな)街、盛り場へ出ようか、などということで連れて行かれるのが銀座の街。
ここに出てくる銀座の街並み……おそらく銀座中央通りだと思うのですが、これはセットではなく実景なんだとか。昭和25年・終戦直後のリアルな銀座の街並みがそのまま映ってるわけです。そこかしこに空襲の仕儀であろう瓦礫が残ってたりはするものの、賑わいや活気はさほど今と変わりません。終戦後の丸焼けの状態からわずか5年でこの街はここまで賑やかさを取り戻していたのだな、と思わせられます。
賑やかさを取り戻したとはいえ、当たり前ですが街の様子は当世、令和の世のそれとは違います。建物はより高くなり、都電やボンネットバスも姿を消しましたが、なにより本質的なところで決定的に異なるのは、立ち並ぶ店etcの「看板(サイネージ)」。とにかく「看板」の類が様変わりしています。
店名にしろ商品広告の類にしろ、目に入る大抵のそれはほとんどが文字、文章がメイン。メインというか単にデカデカと店名や商品名が書かれてるだけのものです。
これは銀座に限りません。かつては世界中どこでも、「看板」に描かれるのは文字だけ、というのが当たり前でした。せいぜい文字が飾り文字だったりするくらいです。
あれから半世紀以上経ちました。その間の技術や経済力の進化、深化に呼応して、「看板」も猛烈なスピードで進化、深化しました。
文言だけなのが当たり前だったところにいつしかワンポイントのイラストがつき……と思ったらやがてそのイラストが細密化してメインになり、そうこうしている間にアッという間に普通に写真が用いられるようになりました。
さらに我々のテクノロジーetcは、そんな進化の末、とうとうこの看板に「動画」を用いることができるまでになっています。「デジタルサイネージ」の技術によって、文言、イラスト、そして動画も用いた多様かつ多角的な映像広告が展開可能になりました。今や店舗や企業であればその営業内容、商品であればその商品特性を、文字だけでなく、またイラストや写真だけでもなく、動画でも伝えることが当たり前にできる時代です。
それどころかさらにこのデジタル技術によって、「看板」は一方通行の情報伝達にとどまらず、ユビキタス、ひいてはIoTまでが平易に実現できるまでに至っています。もはや「看板」はテレビ、新聞に次ぐ第3のメディアといっても差し支えのない存在といえるでしょう。
現在の銀座・晴海通りには、大型モニターによる「デジタルサイネージ」からTPOに応じて発信管理される、美麗かつ精細な動画広告が横溢しています。

英語圏の古い諺に「A picture is worth a thousand words.」というものがあります。直訳すると「一幅の絵画は千の言葉を語る」となりましょうか。多くの言葉を重ねての説明よりも、時としてたった1枚の絵の方が物事の本質や詳細をより深く理解させてくれる、という意味です。
今の「看板」事情は一幅の絵画という範疇を遥かに超えて、もはや「千の言葉」どころの話ではないレベルにまで来ています。
……さて、技術は与えられました。あとはそれをどう活かすかです。
こと動画であれば、じゃあどんな動画が良いのか。公知させるためにどんな内容にすべきか。
人間が出て話しますか?実際の商品を使ってみせますか?わかりやすい図表を動かしますか?
技術は与えられました。あとはそれをどう活かすかです。